過払い金

盛岡市で過払い金請求した人の口コミ・評判

盛岡市で多い過払い金請求について

過払い金が発生している可能性が高い人

基本的に2010年以前に消費者金融、クレジットカードでお金を借りていた方は可能性があります。

過払い金請求のメリット・デメリットとは?

しかし大手の業者に関しては2006年のグレーゾーン金利撤廃の政府発表後(施行は2010年)1年以内に金利を改定している場合が多く、大手からの借り入れの場合は2007年以前の借金が対象になる場合が多いです。

中小や一部大手でも発表後も継続してグレーゾーン運営していたところもありますが、中小の場合、倒産してしまっていたり、吸収合併されていたりするので注意が必要です。

過払い金請求の注意点

グレーゾーン金利の撤廃で加熱した過払い金請求の負担に耐え切れずに倒産してしまった業者も数多くあり、アナタが借りていた業者がちゃんと今も営業しているか確認をしましょう。

また当時と会社名が変わっていたり、吸収合併で分からなくなった業者も多いです。倒産などで会社がない場合は別として、何らかの形で残っていれば請求は可能になります。

また完済から10年が過払い金の時効になりますので、期限が迫っている方は急がないと間に合わない可能性もあります。

返済中に過払い請求をする場合

返済中の過払い金請求でも、過払い金で借金が無くなるような事案であれば、ブラックリストには登録されません。しかし、残債が残る場合は、債務整理として登録されてしまうので要注意です。

また、過払い金請求をした業者がクレジットカード会社だった場合、キャッシングは完済したと思って安心していたけれど、ショッピング返済が少額残っていたことで、残債残りと判断されブラックリストに登録されてしまったという事例もありますので注意が必要です。

請求前の必須知識!過払い金が発生する業者としない業者

グレーゾーン金利時代から利息制限法の範囲内で貸付をしていた金融業者はどれだけ過払い金請求をしてもそもそも払いすぎている可能性がありません。また、主な金融業者で利息制限法に基づく金利に改定した時期を知ることで自分に過払い金がありそうかなさそうかの判断がつくようになります。

過払い金が発生しない業者
モビット・アットローン・DCキャッシュワン・オリックス・クレジットこの辺の消費者金融・信販会社は過払い金の可能性はありません。また、銀行カードローン、信用金庫、労金、JAなどはもともとが低金利であるため過払い金の可能性はゼロとなります。

過払い金請求のリスク

その電話ちょっと待った!過払い金CMに飛びつくリスク

過払い金CMは、ここ数年うざいほど多い!借金とは無縁の方からすれば、あの声優から放たれる独特の声で、最近はハイテンションと、しつこい、胡散臭い、うるさいというリスク・デメリットだけ。

一部報道によると、某司法書士法人は受任件数として過払い金請求全体の2割を独占しているとのこと。確かにあの勢いでCMを流し続ければ、認知度は上がり、何も知らない依頼人としては安心感にもつながり、なんとなく無料相談してしまうリスクがある。

しかし、その反動なのか下記理由で依頼先を変更したいという相談があとを絶たない。

(1)手数料が高い(面談時の説明が曖昧・あとから追加費用を請求された)

(2)対応が遅い(半年以上連絡なし・担当者たらい回し・説明がコロコロ変わる)

(3)5割が限界(回収率が低い・面談時は調子いいこと言ってた・返金までが遅い)

事務所選択を間違えると、あとあとややこしくなるリスクがあるので、事前にしっかり口コミなどチェックし万を持して相談が吉!

大手は大量受任の影響で1人1人きっちり処理できてないみたい。ネット上にある口コミやHPを事前に確認しリスク回避してね!ちゃんと調べてもなお、CM事務所がいいなら問題ないけどね(笑)

過払い手数料がリスク!?高い報酬にだまされないで!

まず大前提として法律事務所によって手数料が異なる。どこに頼んでも費用が同じと考えていた方、弁護士費用に差はないのでは?と思っていた方はリスクあり!

つまり依頼する事務所によって仮に「100万円過払い金が回収」できても「手元に戻ってくるお金」が減ってしまう!というデメリットがある。あなたが頑張って返済した借金。手数料は出来るだけ安いに越したことはない。費用リスクは大きい!

特に下記2点を請求する事務所はビジネス色が強いのでリスクあり。
(1)減額報酬(げんがくほうしゅう)
(2)その他費用

手数料比較は重要なポイント。どこに頼んでも同じではないよ。テレビCMの告知どおり、過払い金は1人平均80万円以上発生する。10万円以上違うことに・・

家族に知れたら離婚も覚悟?周囲に内緒で手続きするリスク

家族や職場、友人に内緒で手続きしたいというニーズは非常に多い。理由として、消費者金融で借金をした事実は、あまり周囲に知られたくないナイーブな過去という性質があるのではないか。

周囲に秘密でお金が戻ってくる、かつリスクやデメリットがないなら、過払い金請求をしてみたい!というニーズになるだろう。ではそのようなことは可能なのか?

周囲に知られるリスクがある代表的なケース

(1)事務所からの電話・通知・情報漏えい
(2)業者・裁判所からの電話・通知・情報漏えい
(3)ブラックリストが理由で審査に落ち怪しまれる

(1)について、弁護士・司法書士であれば、依頼時に連絡郵送の確認を徹底配慮するのが原則。また守秘義務があるため、業務上知りえた情報を周囲に漏らすことはない。

(2)について、業者は代理人が入れば直接本人へ連絡は禁止なので問題なし。裁判所については、一部本人へ直送される書類があるのでこの点を注意すればよい。

(3)について、ちょっと考えすぎかもしれないが、新規にクレジットカードが発行できなかった場合などで家族から怪しまれるといったところか。

基本的には、業者・裁判所から本人へ連絡がいくことはないので、事務所と本人との連絡方法さえ気を付けていればリスクはないはずではある。

しかし、事務処理ミスにより誤って郵便を送ってしまうケースも考えられるので、そのあたりのリスクを考慮し依頼する事務所選択にはくれぐれも注意すること!

お金が戻ってくるのはいいけど、ややこしくなるなら過払い請求したくないよね。おススメは、過払い金請求を専門でやっている所であれば空気読めると思うよ。

過払い請求するとブラックリスト?審査への影響リスク

過払い請求すると「ブラックになっちゃうんですよね?」という相談をまれに受ける。そしてブラックになると、クレジットカードが作れない、キャッシングできないリスクなど、今後お金が借りれないのはデメリットということだろう。

結論ブラックリストなど存在しないが、これに該当すると思われるのが信用情報。信用情報(しんようじょうほう)とは、簡潔に言うと過去に借金をした際の成績表。そして実はこの情報、カード審査に通過する重要要素の1つとなっている!

カードローン・クレカの審査に落ちる代表的なブラック情報

(1)延滞   支払いが滞りがちの方。長期延滞など
(2)債務整理 返済が厳しく支払い条件を見直したなど
(3)その他  過去借金を約束どおり返さなかったこと全般

つまり、借りたお金は約束どおり返済するのが原則。ちゃんと返済しないと成績表にマイナス記録が残っちゃう。マイナス記録があるとお金を貸す側はリスクなので、審査に通せないということ。

ところで「あれ?過払い請求が入っていない!」と思われるだろう。ということで過払い請求はちゃんと借金を完済した方がするもの。だからマイナス情報ではない!つまり、過払い請求はブラックリストと関係なし!

過払い請求=ちゃんと頑張って借金完済したのでブラック関係なし!ブラックリスト=借りたお金をキチンと返済できなかった人。返済日なんて数日くらい遅れても平気かな・・と思ってた方は気を付けて。

過払い金請求と住宅ローンとの関係。影響リスクを検証

過払い金請求をする際、すでに住宅ローンを組んでいる依頼人は多い。また、将来ローンを利用して不動産を購入したい依頼人も多くいる。そこで今後審査への影響リスクを心配して過払い請求を躊躇している方は多いのではないか。

住宅ローン審査で重要視されるポイント

(1)申込時年齢と完済時年齢
(2)年収と返済負担率
(3)勤務先の勤続年数・雇用形態
(4)債務(借金)状況
(5)健康状態

貸す側の銀行サイドは、何千万円の貸付リスクがあるため返済見込みは必須だろう。そこで(4)の借金状況であるが、いくら収入があっても現在の負債が多いと、毎月の返済リスクがありデメリットとして考えるようである。

消費者金融で多重債務 → 今後の返済プランが心配・・
完済後の過払い金請求 → 上記と関係なし!

まとめ

現在利用中の住宅ローン  → 影響なし(過払い請求して影響が出た報告はない)
将来利用予定の住宅ローン → 影響ないと考える

銀行にとって将来数千万単位の利息収入に繋がる住宅ローンで、100万円程度の過払い請求した事実が審査に影響あるとは思えないよね。気になる人は、事前にローンを組んでからゆっくり過払いするのもありかもね!

過払い金請求をするとブラックリストに載ってしまうの?

過払い金請求のデメリットとして、「過払い金請求をするとブラックリストに掲載されてしまう」ということを聞いたことがあるのではないでしょうか?そのようなデメリットを避けるために知っておくべきことを書いていきます。

(1)そもそもブラックリストって何?

よく「ブラックリスト」と言われますが、これは信用情報機関が行う返済能力に関する情報のことです。つまり、貸金業者がお金を貸しても返済が難しいと思われる方が信用情報機関に情報を掲載されることとなり、いわゆる「ブラックリストに載る」こととなります。

具体的には、債務整理(自己破産・民事再生・任意整理・特定調停)の事実や返済の遅れなどの事実が発生した場合に、ブラックリストに載ることになります。

(2)ブラックリストに載ってしまうとどうなる?

前述の通り、信用情報機関(ブラックリスト)は、貸金業者がお金を貸しても返済が難しい人に対してお金を貸してしまい、貸し倒れを防止する点にあります。そのため、ブラックリストに載ってしまうと、5~7年間程度お金を借りることができなくなってしまいます。もっとも、ブラックリストはあくまで信用情報機関が貸し倒れを防ぐための情報なので、仮にブラックリストにのったとしても、家族に知られることはないでしょう。

(3)どのような場合にブラックリストに載ってしまう?

そうすると、気になるのが過払い金請求をした場合にもブラックリストに載ってしまう?ということではないでしょうか。

以前は、過払い金請求をした場合にも信用情報機関に「契約見直し」等の情報が登録され、ブラックリストに載ってしまうことがありました。そのため以前は、ブラックリストに載らないために完済してから過払い金を請求する、という手法が採られていました。しかし、そもそもの問題として、過払い金請求というものは債務整理と性質が異なります。

これを受け、金融庁は「そもそも信用情報とは支払い能力に関する情報であり、過払い返還請求の有無は信用情報ではなく信用情報機関に掲載されるべきではない」という見解を示しました。これにより、過払い金請求があった際に、信用情報機関に履歴が登録されることがなくなりました。

(4)ブラックリストに載っても消してもらう方法がある?

ちなみに、以前過払い金請求したことがある方で、もし、登録されるはずのない自分の過払い金返還請求の履歴が信用情報機関に「事故情報」として残ってしまっている場合、登録を消してもらうことが可能です。

具体的な方法としては、事故情報の届出をした会社(貸金業者)に対して、「事故情報取り消し申立書」を出してみましょう。出し方は郵便などでよいでしょう。

A4の用紙1 枚程度に一般的な書式でいいかと思いますが、そこに

・過払い金請求とこれに伴う金銭返還の事実(和解の事実なども含む)
・事故情報の記載の事実
・事故情報の取り消しの要求(過払い金を返還してもらっただけで、債務整理ではないことを理由とする)
・14日間以内に取り消されなければ、金融庁への行政指導の申し立てをする旨の通告

などを記載するとよいでしょう。

盛岡市について

盛岡市(もりおかし)は、岩手県の県庁所在地である。平安時代、桓武天皇の命により志波城が置かれ、律令制下となる。安土桃山時代に勢力を広げた南部氏が盛岡城を築いて以後、城下町として発達。明治以後は岩手県の県庁所在地となる。

地理

岩手県の内陸部、北上盆地のほぼ中央部に位置し、市内中心部で主流北上川に雫石川、中津川が合流する。中心市街地からは奥羽山脈に属する岩手山(北西)、駒ケ岳(西)北上高地に属する早池峰山(東)のほか、独立峰の姫神山(北)、南昌山・東根山(南)などを望み、これらは市域の内外にありながら総じて街のランドマークとなっている。市域面積は東京23区の約1.4倍に相当し、高層建物はなく豊かな自然環境に恵まれ美しい景観を形成している。

山 : 姫神山 – 岩山 – 愛宕山 – 鑪山 – 蝶ヶ森 – 飯岡山 – 黒石山 – 神庭山 – 寒風山など

河川

一級河川 : 北上川 – 雫石川 – 中津川 – 簗川 – 米内川 – 木賊川 – 諸葛川 – 南川

湖沼 : 四十四田ダム – 御所ダム – 綱取ダム – 高松の池 – 岩洞ダムほか
主な都市の降雪量・積雪量(平年値)

広袤(こうぼう)

国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、盛岡市の面積は886.47平方キロメートルである。国土地理院によると盛岡市の東西南北それぞれの端は以下の位置。東端は早坂峠の南南東約4.2km、西端は御所湖畔、南端は毛無森、北端は送仙山である。

気候

全般に北上盆地の中に位置するため内陸性気候であり、盛岡地方気象台の過去最高気温は37.2℃(1924年7月12日)、過去最低気温は-20.6℃(1945年1月26日)となり、夏と冬、昼と夜とで寒暖差が大きい。市内にある気象庁による観測地点は、中心部にある官署の盛岡地方気象台、市北部の玉山区にあるアメダスの好摩と藪川の計3か所設置されている。ケッペンの気候区分によると、盛岡中心街から南部の北上盆地は温暖湿潤気候、一方市の北部の滝沢市に隣接する地区や北上盆地周辺の標高の高い地域などは亜寒帯湿潤気候に属する。

盛岡市街地(盛岡地方気象台)の気候は次の通りである。本州の中では最も年平均気温の低い県庁所在地であり、桜の開花は東京に1か月程度遅れ、満開時期がゴールデンウィークに重なる傾向がある。なお、1970年代(1941~1970年平均値)まで使われていた盛岡地方気象台の最寒月(1月)の平均気温は-3.0℃であり、亜寒帯湿潤気候に属していた。

夏季は、真夏日となる日もみられるものの[5]、やませの影響を強く受ける[6] 年があるほか、フェーン現象が発生することもあるため、年によって夏日は41 – 94日、真夏日も1 – 48日と変動する。熱帯夜となることは稀(1931年 – 2012年の82年間で1994年(平成6年)8月11日[7] や1999年(平成11年)8月6日[8] や2012年(平成24年)9月18日[9]や2014年(平成26年)8月6日[10]4夜のみ[11])であるため、朝晩は特に過ごしやすい。

冬季は、本州の県庁所在地では最も寒いとされ、30年平均(1976年 – 2005年)で冬日が124.6日(97 – 147日)、真冬日が16.6日(1 – 40日)となっている。年間平均降雪量は以下の都市別比較表にある1971~2000年平年値の351cmより大幅に減少し272cm、過去最深積雪は81cm( 1938年2月19日) 程度と、毎年必ず積もるとはいえ雪は極端に多くはない一方で、冬季の日照時間が長いために、よく晴れた深夜・早朝に放射冷却現象が起き路面が凍結し、雪害以上の課題となっている。

ただし、近年、盛岡市中心部は年々冷え込みが弱くなり、マイナス10度以下まで冷え込むことは少なく、盛岡地方気象台(標高155.2m)の1月の平均気温の-1.9℃は1970年代の-3.0℃と比べると1.1℃も上昇した。しかし、郊外は氷点下15度を下回る気温も観測されるなど朝晩の冷え込みは非常に厳しく、市北部のアメダス好摩(標高205m)では1月の平均気温が-3.1℃、平均最低気温は-8.1℃になる他、隣接する雫石町(標高195m)では2009年1月28日に-20.0℃、南部の紫波町のアメダス(標高125m)でも2013年1月18日には-16.9℃まで下がっているなど、中心部と郊外では朝晩は夏季よりも年々気温差が大きくなる傾向にある。

藪川の寒冷な気候

市北東部の藪川は観測点の標高が680mとアメダス観測点の中で取り立てて高いほうではないが、周囲を山に囲まれ岩洞湖に冷気がたまりやすいという地理的条件のため、非常に寒冷な土地である。2月の平均最低気温は-13.8度と、標高1200m台の群馬県草津や長野県菅平アメダスをも下回り、本州の全てのアメダスで最も低い。

放射冷却によって零下20℃を下回ることも珍しくないほか、岩手県宮古市区界、岐阜県高山市六厩、長野県上田市菅平、長野県南牧村野辺山 と並んで、初秋や晩春にも氷点下の厳しい冷え込みを観測することがあり、本州で最も寒冷な土地の一つとされる。

現在のアメダス地点(標高680m)とは違う場所で、非公式(アメダス以前の気象観測所のため非公式扱いとされる)ながら1945年1月26日には-35℃ という北海道内陸部並みの冷え込みを記録している。なお平均最高気温と平均気温において、北海道と富士山を除くアメダスが置かれてる地点としては酸ヶ湯が1月の平均気温-7.6と平均最高気温が-5.1と本州一低い。寒冷な気候を生かして蕎麦の栽培が行われ、藪川そばという特産品となっている。

最高気温極値(1976/11 – )31.5℃(2007年8月14日)
最低気温極値(1976/11 – )-27.6℃(1988年2月17日)

名称とシンボル

「盛岡」の名は、1691年に、当時の藩主南部重信と、盛岡城鬼門鎮護の寺院として置かれた真言宗豊山派永福寺第42世・清珊法印との間で交わされた連歌に由来する瑞祥地名である。「盛り上がり栄える岡」の意味を持つとされ、のちに藩名も「南部」から「盛岡」へと改められた。版籍奉還直後は一時「盛岡県」が存在したが、盛岡城の存在した旧郡の名にちなみ岩手県へ改められたと言われている(諸説あり)。現代では一般的呼称ではないが、中世には「盛府」とも記された。

盛岡市中心部は、かつての「巖手郡仁王郷不来方」に相当し、不来方(こずかた)または「古志方(こじかた)」と呼ばれていたと考えられている。盛岡はこれに代わる「美名」として名付けられたが、今日ではむしろ「不来方」が雅称として用いられる傾向にある。また、「杜陵」「杜稜」と書いて「もりおか」あるいは「とりょう」と読み[18]、雅号とすることもある。盛岡市出身の石川啄木は、その作品の中で「美しい追憶の都」、盛岡市ゆかりの宮沢賢治はエスペラント風に「モリーオ市」と記した。「みちのくの小京都」とも称される。

「盛岡」を連想させるものとして、市内のあらゆる地域から望まれる岩手山が多くの学校の校歌に謳われるほか、市の中心部で合流する中津川・北上川・雫石川の三大河川、国の史跡に指定されている盛岡城石垣、国の天然記念物に指定されている石割桜、国の重要美術品の上ノ橋擬宝珠、旧盛岡藩主南部氏の家紋「向鶴(双鶴)」「武田菱」が、盛岡を表す端的なモチーフとして用いられることが多い。

歴史

平安時代の延暦年間、征夷大将軍・坂上田村麻呂により志波城が築かれた。続いて豪族安倍氏により「厨川柵・嫗戸柵」が置かれて事実上の自治を果たすが、安倍氏が源氏からの侵攻を受けると、代わって出羽国から清原氏が進出した(前九年の役)。

清原氏が内紛で滅亡すると(後三年の役)、現在の盛岡市(当時の岩手郡・斯波郡)は平泉を拠点とする藤原清衡ら(奥州藤原氏)の勢力圏となる。平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治すると(鎌倉幕府の成立)、「厨川城」を拠点に御家人「奥州工藤氏」が治め、のちに岩手郡は北条氏・斯波郡は足利氏の影響下に置かれる。

南北朝時代には両統が割拠する中、甲斐源氏を祖とする南部氏が三戸からの南進を果たす。工藤氏らを配下として岩手郡を領有、南部氏家臣福士氏が「不来方城(慶善館・淡路館)」を置く。南部氏は斯波氏を滅ぼし「斯波郡(紫波郡)」を領有すると不来方城を礎に盛岡城を築き、城下町を整備。

これが盛岡の現代に至る始まりである。盛岡藩(旧南部藩)は盛岡県を経て岩手県となり、盛岡市はその県庁所在地となる。紫波・岩手両郡の中核となり、古代以来の統治拠点「志波城」「厨川城」「盛岡城」を包含する地域として、現在の盛岡市が形成される。