過払い金

借金返済女子、債務整理でどん底から這い上がる

ある日、母親と買い物をしていると、財布の中身に不安になりました。すると母が「カード使ってみれば?せっかくだし」と。「大丈夫かな?」と「大丈夫よ、ちゃんと支払えるんでしょ?」。母がそういうならと恐るおそるカードを提示。あっという間に欲しい物を得ることができました。快感でした。

見栄っ張りなパラサイトシングルで借金街道まっしぐら

35歳の主婦です。結婚して3年目で子供はおりません。現在はパート勤めですが、半年ほど前までデザイン関連の業種で正社員をしていました。デザイン関連の業界に憧れ、早くから実践的な経験を積まないといけないと考え、大学生の頃からアルバイトとして業界に入り込み、そのまま正社員になりました。

当時24歳。一般的な新卒より2年遅れての正社員です。24歳の会社におけるポジションはもちろん“下端”。会議や飲み会など、上司や先輩が参加したくない予定があれば、下っ端の私が参加しなければなりませんでした。

クライアントとのお付き合いもまた然り。クライアントからの依頼でクレジットカードを契約することになりました。私はお金の管理ができません。社会人になる前から自覚はありました。原因は私自身の考えの甘さはもちろんですが育った環境も大きいと思います。幼少期から欲しい物ややりたい習い事があれば、両親、祖父母が叶えてくれました。お金がなくなったら親や祖父母がくれるだろう……。そういう甘えが24、5歳になっても消えませんでした。

また、大学卒業後は実家暮らし。いわゆるパラサイトシングルです。大学時代は寮生活だったため、実家に戻ってお金のみならず生活のすべてがだれてしまいました。クレジットカードはしばらく使用しませんでした。怖かったのです。

ある日、母親と買い物をしていると、財布の中身に不安になりました。すると母が「カード使ってみれば?せっかくだし」と。「大丈夫かな?」と「大丈夫よ、ちゃんと支払えるんでしょ?」。母がそういうならと恐るおそるカードを提示。あっという間に欲しい物を得ることができました。快感でした。

そこからです。カードさえあれば、なんでも手に入れられる……そう思い込むようになりました。そうして限度額ギリギリになるまで買い物をし、限度が超えれば、より高額の限度設定がされているカードを追加契約するようになりました。さらにキャッシングも利用するように。キャッシングしたお金をカード支払い分にあてるようになりました。そのうちキャッシング目的でカードを作りはじめました。

クレジットカードに付随するキャッシングを利用し始め、そのうちキャッシング限度が超過してお金を借りられなくなりました。そこで地元の銀行に行き、新しくゴールカードを契約しました。利用枠は100万。

その枠もあっという間に使い切ってしまい、続いて銀行独自のキャッシングローンを契約。上限が200万だったと記憶しています。このローンをクレジットカードの支払いにあてていました。借金をしている自覚は微塵もありませんでした。

「『借金』なんてありえない!」そう思っていました。当時はさまざまなニュースが世間を騒がせていたこともあり、消費者金融だなんてもってのほか。

借金イコール消費者金融、信用できる大企業が発行するクレジットカードなんだから借金している自覚がありませんでした。そのため、ノーローンを利用する際、ATMに行くのが憂鬱で、誰かに見られたらどうしよう……といつもおびえていました。

月収手取り20万、毎月返済22万

クレジットカードで何を購入していたかというと、ブランド品です。周囲からよく見られたい、もっとカッコいい洋服が着たい、そういう気持ちが人より強かったのかもしれません。また実家暮らしで生活費はかからず、家には食費すら入れていませんでした。お金がかからない実家暮らし中に貯金をするのが常識。お金を使うために実家にいるような状況でした。

当時、私の月収は手取り20万ほど。気づけばクレジットカード、キャッシングローンの返済額は合わせて月22万に。私は私が借金をしているという事実と向かい合いたくありませんでした。考えたくもありませんでした。でもいつも頭の中は借金のことばかりです。また借りているのだから返済しなければなりません。

もうその頃には、新しいクレジットカードもキャッシングローンも審査が通らなくなってしまいました。それほどの状況にも関わらず、私はまた買い物をして借金している事実から目を背け続けました。

そんな生活を続け、とうとう月々の返済自体ができなくなってきました。そのつど、親や彼氏、友人にお金を借りました。支払い請求が来る頃には憂鬱で、頭を下げるたびに後ろめたかったです。

さすがに借金を繰り返しているうちに、買い物する頻度が減りました。それまで夢中になっていたブランド品にも飽きが来ていたタイミングでした。返済額も微減しました。

本当ならば買い物自体をやめるはずなのに、それを実行しませんでした。実家暮らしの独身だったため、住む家にも食べる物にも困らない環境だったため、危機感が薄かったのだと思います。それでも仕事中、食事中、トイレや入浴中、特に就寝前は頭の中がお金のことばかりでした。

「本当に楽になった」と同僚からアドバイス

景気が悪くなるにつれ、会社の業績が悪化。ボーナスどころか給料が20パーセントカット、挙句の果てに退職金制度すらなくなってしまいました。毎月決まった給料の中から毎月返済していても、なかなか借金が減りません。

それだけ自分は借金していたのだと返済日のたびに反省しました。世の中の景気が悪くなる一方で、借金問題に対応する弁護士、司法書士事務所のコマーシャルがたくさん流れるようになりました。

私が所属していたデザイン事務所にも同様の仕事が舞い込んでくるようになり、どう対応し、どう解決するか、無料相談できるなどと紹介されていたので、興味を持ちました。ある日、会社の同僚とその話題になり、同僚が声をひそめていいました。「あそこ、おすすめしますよ」と言うのです。聞けば同僚も私と同じような状況に苦しみ、すでに借金返済のため行動を起こしていました。同僚の一言がきっかけとなり、借金解決のための行動をスタートさせました。

情報収集と口コミをたよりに

同僚の一言にようやく本腰を入れて借金と向き合うことになりました。私がまず行ったのは情報収集です。

ふだん利用している駅に近く、でも会社から少し離れた場所がいいなと思いました。同僚が利用しているところを信用していましたが、もっと他にも行きやすい事務所があるのかもしれないと、テレビコマーシャルでよく見かける司法書士事務所を中心に情報を確認しました。

ただし、過払い請求については自分は該当しないようだと思い、その情報は特に気にしませんでした。ホームページを眺めていると、借金をしっかり返済できるように思え、日々憂鬱で後ろめたい気持ちがだんだん前向きになっていくのを実感しました。

債務整理がどんなものなのかさっぱりわかりませんでした。借金に苦しんでいるときには自己破産イコール債務整理だとばかり思っていましたが、テレビコマーシャルで耳にするようになりどうも自己破産とは違うようだと気づき、そこから検索して仕組みを理解するようになりました。

さらに、インターネット上にはさまざまな関連情報があり、自己破産と債務整理の違い以外にもメリット、デメリット、体験談、過払い金とは何か、その該当条件なども見つけることができました。そうした情報を知れば知るたびに、「私はまだ大丈夫!」とか「まだ将来が真っ暗なわけではない」「やり直せる!」と力が湧いてきました。

とにかくラクになりたかった

1日でも1週間でもとにかく早く借金問題を解決したい。借金のことなんてもう考えないで生きていきたい。
司法書士事務所の依頼内容や、債務整理の仕組みを理解するうちに強く感じるようになりました。さらに債務整理を依頼して、毎月の返済分を見直し、異常な経済環境を正したいと考えるようになりました。そこに躊躇も迷いもありませんでした。とにかく前に進む、これしかもう方法はないと思いました。

正直、司法書士事務所への予約を入れたとき、心臓がバクバクしました。借金問題解決と言うより、自分の恥をさらし、その恥をなんとかしてほしいとお願いするわけです。本当に恥ずかしいと思いました。

借金は私の重荷です。苦しんでいるのも私、これまで借金を繰り返してきたのも私です。自業自得、その言葉ばかりが毎日毎日呪文か何かのように頭の中をかけめぐっていました。自分を信用することはできない、だから専門家にお願いしよう、そう決めました。実際に専門家の方にお会いし、お話して、依頼することになった際は、本当にプロにお願いしてよかったと心から思いました。

次のステージへと背中を押してくれた

結局、司法書士事務所は同僚が利用しているところにお願いすることにしました。その旨を同僚に伝えると、同僚が初めて事務所に行ったときの様子を教えてくれました。彼の話によれば「怒られて、励まされて泣いちゃった」とのこと。それも自分の将来を思って言ってくれたのだとしみじみ語っていました。私もそうなのだろうと、少し緊張しました。緊張の中、事務所に足を運ぶと、とてもきれいでオシャレな事務所で、女性が多く、安心しました。

初めて訪ねた日は男性の司法書士の方が対応してくださいました。同僚のようにこそ怒られはしませんでしたが、私の借金の総額とその返済ビジョンを明確にする具体的な説明と、あたたかく力強い励ましの言葉をいただき、勇気をもらいました。

私が不安だったことは、会社や両親、恋人の両親など近しい人たちにこの借金の事実を知られることです。両親には現在もずっと隠しています。その点についても配慮していただく仕組みが整っていました。私が当時所属していた会社は自由な気風で、めったに管理職は出入りしませんでした。そのため、郵送物がある場合は会社あてに送ってもらうこととし、さらに送り主も記載せず、ごく普通の茶封筒で送付するという細やかな配慮をしてくださいました。

その日、私のほかにも利用者が数人いましたが、当然プライバシー管理が徹底されていて、他の人たちのやりとり、会話は一切耳に入ってきませんでした。その後、押印の都合で事務所に行きましたが、それと本契約合わせて事務所に行ったのはたったの2回。あっという間に手続きが完了しました。

毎月22万の返済額が激減

司法書士の方には、どこにいくらぐらいの借金があるかを確認され、後日正確な金額を記載した用紙を見せてもらったと記憶しています。

私の場合は5社から借金がありトータルでおよそ300万でした。その中で、返済金がごくわずかなところが1社あり、そこは自力で返済することになりました。結果4社と和解する手続きをしていただくことになり、3年で完済をめざした金額を設定。私が信用できる人物かどうか、また設定した金額を毎月しっかり支払うことができるかを司法書士の方が判断するため、当初の返済額は6万になりました。

もうそれだけで私の心は軽くなりました。それまでは複数の会社の借金を、それぞれの窓口に行き、〇×はいくらで、○○はいくらで、と返済していましたが、司法書士事務所だけに支払えばいいのです。

窓口が一本化されただけでなく、毎月の返済額が22万から6万になりました。毎月6万円を司法事務所あてに支払い続けて半年もたたないうちに、担当の方から電話がありました。返済金額を6万から3万にしましょうという内容でした。これならきっとやり直せると自信がわいて、日ごとに気持ちが明るくなっていきました。

恐れることなんて、ひとつもなかった

ただでさえ、借金問題を表立たせたくありません。
それなのに、一生利用する機会がないかもしれない「司法書士事務所」に行き、借金の話をするだなんて、本当に「ビビッて」しまいました。でも、一歩踏み出せばなんてことありませんでした。司法書士事務所の方々は本当に頼りになりました。丁寧かつ真摯に向き合ってくださいました。仕事とはいえ、人様の借金という恥のような相談を親身になって耳を傾けてくださいました。司法書士の方はもっと偉そうなイメージをもっていましたが、みなさん本当に紳士的で、女性の方はさっぱりしていて会話がしやすく、親近感がわきました。

対応はすばやく、配慮は細やか。会社に足を踏み入れるまで鳴りっぱなしだった緊張のドキドキが、事務所をあとにする頃にはすっかりなくなっていました。気づけば、とても気分がよく、本契約の依頼を終えたときは、プロが交渉してくれるという力強さや、借金で苦しまなくていいんだ!という解放感のような気持ちになりました。

平穏な日々

債務整理を依頼して、かれこれ2年になります。その2年のうちに、私はかねてから交際していた彼と結婚
それまで所属していた職場を去り、さらに引っ越しをし、環境が大きく変化しました。引っ越しが決まったとき、依頼していた司法書士事務所に住所変更のために連絡を入れました。

すると、電話に出られた方は、おそらく私を担当してくださった方ではないはずなのに、「お元気ですか?」「その後はお変わりないですか?」「ご結婚されたんですか!おめでとうございます」などと明るく話してくれました。そうして私の名を呼び、こう言ってくれました。「債務整理の手続きをして、返済をスタートして2年になりましたね!今、管理画面で〇×さんの(私)返済状況を確認しています。がんばっていますね!あと少しですからね!」とまた励ましてくれました。本当にうれしかったです。

苦しみから抜け出すために

債務整理をして良かったことは、プロにまかせられる安心感と毎月の返済額の減少です。自業自得ではありますが、これまで22万の返済に苦しみ、夜も眠れない生活を送っていましたが、手続きをしたことで3万になり、ようやくお金お金どうしようどうしようの生活から抜け出せたように感じています。

悪かったことは、携帯電話の契約ができなかったことです。社会的な信用は失っているので、そうした買い物はできなくなりました。今のところ、その1点だけが悪い点です。現在も借金返済を続けていますが、上記の通り、ゴール地点が見えてきました。

あと少しで、私のだらしなかった生活がリセットされ、新しい一歩が踏み出せます。本当にあとわずか、がんばります。司法書士の方々には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。