マスターから、レートの説明を聞き、デカピン(千点千円)のレートだけど、持ち合わせは大丈夫かと聞かれ、財布の中を確認しましたが、5万程度しか持ってなかったので、その日は止めておきますと伝えました。しかし、マスターが貸してくれるという事で、30万円をキャッシュで借り、参加しました。最初は調子が良かったのですが、24時間後には持ち金である35万円すべて放出し、さらにマスターから借用し、その日は借用書を書いて退店しました。
麻雀で多額の借金をしました
大学生になり、本格的に麻雀に嵌るようになりました。友人と打ってるだけでは物足りなくなり、雀荘に通うようになりました。
最初のレートは千点三十円ぐらいの所でした。そこでは常連のお客さんが常に20名ほど来ている雀荘で、レートも低いためアットホームに麻雀を楽しんでいました。素人に毛が生えたような常連さんも多く、相手に不足感を覚えるようになり、他の雀荘に足を運ぶようになりました。まずは千点百円、ここでも順調に勝ち星を収め、自分の小遣いの範囲内で十分楽しめる麻雀をしていました。このレート百円のお店のマスターから、違うお店の紹介を受けた日の事でした。
マスターが勤務時間を終え、私と一緒にお店を出て食事をしました。これからあなたにお勧めの店があるんだけど一緒に行ってみないかという内容で、若さと自信もあったので、付いていきました。
行ったのは新宿歌舞伎町のビルの4階、中に入ると強面の人が卓を囲んでいて、私が入店すると一斉にこちらを見ました。
さっそくマスターが卓に着き、麻雀を始めました。
半荘が終了して、飛び交う札束の多さに驚きを感じましたが、むしろ興味の方が強くなり、参加しても大丈夫なのかと尋ねました。マスターから、レートの説明を聞き、デカピン(千点千円)のレートだけど、持ち合わせは大丈夫かと聞かれ、財布の中を確認しましたが、5万程度しか持ってなかったので、その日は止めておきますと伝えました。
しかし、マスターが貸してくれるという事で、30万円をキャッシュで借り、参加しました。最初は調子が良かったのですが、24時間後には持ち金である35万円すべて放出し、さらにマスターから借用し、その日は借用書を書いて退店しました。
まずは借りた金を返さなければいけないと感じ、無人契約機のプロミスに行きました。当時年収は学生にもかかわらず600万ほどあったので、40万円ほどの借金だと全く問題ないと思い、すんなりと審査にも通過し、限度額50万円で40万円を引き出し、翌日借りたマスターのところに持っていきました。罪悪感などは微塵もなかった事を覚えています。
窓口で運転免許所と必要書類に記入をするだけで簡単に借りられるという印象が一番でした。借金というものは悪いという認識が全く持てませんでした。無くなればまた借りられるという気持ちにもなりました。初めての借金ではありましたが、月額で50万円の所得があり、返済額も2万円程度でしたので、私生活にも全く影響はありませんでした。
食生活を切り詰めることと交友をしないこと
初めての借金は40万円でしたが、その日負けた麻雀の結果に対し、次は勝てるという認識の方が強かったため、何度もその雀荘に通い詰めるようになりました。
いつも最初は調子良くプラス収支でいるのですが、プラス収支で帰りづらくなってしまう自分がいたのだと思います。
結果行く度に、負けた金額の累積が増えていき、その度にプロミス、アコム、アイフル、レイクなどの消費者金融および信販会社のカードが増えていきました。
全部で8社も借りてしまったため、月々の返済日がそれぞれバラバラなため、手帳に返済日を記入しておき、常に頭から離さない状態にしておかないと、返済期限が過ぎてしまいます。
後は返済する場所に毎月赴かないといけないため、消費者金融のATMの窓口に入る際に、周りを気にしたり出てきてからも辺りをキョロキョロしていた事を、覚えています。さらに、気が付けば日常生活の物品の購入を我慢したり、外食で贅沢にお金を使っていたのですが、完全に我慢しなければならない生活が続きました。
一番変わったのは食生活です。コンビニや飲食店に行っても、値段を気にすることはなかったのですが、返済のことを考えると購入するものや注文するものが変わりました。
次に交友関係。学生にも関わらずバイトを掛け持ちし収入もあったので、後輩には気前よくご馳走していましたが、借金が最大に膨れた時期は都合が悪いと言う理由で人と会うことを極力控えていました。約2年間は友人との交流もしませんでした。電話での連絡があっても極力出ないようにしていたのを覚えています。
交際相手と結婚を意識した時
借金をしてから、その事実は伝えていませんでしたが、デートの質やプレゼントの内容が悪くなったにも関わらず黙って付いてきてくれた彼女に対して、一生をこの人と生きていきたいと思うようになりました。
学生を卒業し就職して4年、大手の広告代理店に就職し、求人広告の法人営業をしていました。始めは年収400万からのスタートでしたが、順調に業績を伸ばし職場でも職責を与えられ、上司からいい人はいないのか?親からも結婚はしないのか?と言われ始めました。
特に、父親が高齢のため内孫が早く見たいと親戚が集まる席などで酒を飲みながら口にしたのを覚えています。また、実の姉が結婚も決まり、第一子がお腹の中に宿り、家族を持つという事に対しての願望が強くなりました。
節約の継続と情報収集
2年間、食生活交友関係において十分に節制しながら生活をしていました。その際に、プロミスさんよりおまとめローンの提示などがあり、持っていたカードが4枚に減りました。負債額の総額も500万円に減額しています。
電車の中吊りで『債務整理』の文言を目にし、ネットで借金の返済について学ぶことにしました。調べていくと、過払い金の返金をしてくれるという内容が目に飛び込んできました。
当時、プロミスから借りた金額の年利が27.8パーセント。年利18パーセントの金利を超えたものは過払いしているという内容で借り入れをしている状態でも遡って返金を求めることができるという内容でした。
電車の中吊りで、『債務整理』の文字に着目し、インターネットで調べたことが過払い金の請求を知ることになったのですが、その後、床屋さんで雑誌を読んだり、スポーツ新聞の広告欄にも過払い金の返金ができますという内容の文字を多く目にすることができたので、半信半疑だった自分にとっては、思い切って電話しようと思うきっかけになりました。
実際、弁護士事務所の無料の相談窓口でお話を聞いていて、手元には依頼するお金は無いけれど、過払い金が発生した場合、その中から報酬を頂く形になっているのでご安心してくださいという内容でした。そんなことが本当に出来るんだなという驚きを実感しました。
まずはお電話という広告がきっかけです
新聞や雑誌広告ラジオで過払い金の請求という言葉が、よく耳に入るようになりました。しかし、実際はそんなに上手い話は無い、と1か月くらいは踏み切れなかったことは事実です。2社の弁護士事務所の無料相談に連絡していたのですが、1社は対応が簡素で説明が非常に雑でした。もう1社の弁護士事務所に連絡した際の担当の方の、私が持っている不安に対してのすべてをヒアリングし、どのように解決していくかプロセスを丁寧に説明してくれたことがとても印象に残っています。
心配だったことは過払い金を請求した際に、消費者金融側から脅されたりしないかと思うこともありました。担当になってくれた方は、行政書士の方でした。その後一度弁護士事務所の方に足を運ぶようにとのことでしたので伺いました。伺った際に、電話で対応してくれた方が弁護士さんに引き合わせてくれました。その時の丁寧な対応、さらに不安に思っていることに対して、前回も電話で説明したはずですなどの発言は無く、今一度丁寧に説明してくれました。
相手の身になって対応してくれてありがとうございます
生まれて27年、弁護士事務所なんてとても悪いことをした人しか行かない所と思っていて、まさか自分がそこに足を運ぶことになるとは思いもしませんでした。しかし、実際お会いした弁護士の方の印象は商売であることは前提としても、とても親身に話を聞いてくれて、短時間で不安を解消してくれる人でした。自分も昔はねなんて話を混ぜてくれたことも印象に残っています。
まず、自分がしようとしている過払い金の請求という行為自体が、法律上全く問題の無いことであるということを丁寧に説明し、安心してもらうことから始めてくれました。
結局払ったお金を返してもらうという行為な訳ですから、後で返金が実現したとしてもその後の生活も問題ないのかということに、不安がたくさんあったため、その説明を冒頭で丁寧にしてくれたことが、とても信頼できる内容だったと思います。
面談は最初の1度きり。その時に過去に借りた消費者金融及び信販会社の名前を列挙し、いつ頃から借り入れしているのか、おおよその年月日を告げ、次回いつごろ連絡しますという内容を伝えてくれました。
1か月もすると連絡があり、私が借りていた事実の確認が取れましたという連絡が入りました。さらにまだ確認が取れていない会社はいつ頃には分かります、分かり次第報告しますという内容で、8社も借り入れしていたので電話連絡は3か月の間に10回ほどにも及びました。その後、書類が送られてきて電話が入りました。過払い金の請求を掛けることに同意する内容のものでしたが、電話口で書き方も丁寧に説明してくれました。
借りた会社の件数が多かったため、返還された金額にびっくりしました
まず、専門家に依頼した費用についてですが、1件につき着手金が2万1千円。それで過払い金の請求が成功した時は、返金額の2割を報酬として支払う形でした。信販会社4社は、借りていた金額期間がほぼ同時期であったため、30万円くらいの返金額に対し、着手金が2万1千円のため、4件で8万4千円、返金額も合計120万円くらいの2割の24万を報酬として支払い、87万6千円が手元に入りました。このお金を持って残金がある消費者金融レイクをすべて支払い、過払い金の請求を掛けました。
半年後に過払い金が戻ってきて金額は50万円くらい、手元に戻った金額は40万程度。その年の会社のボーナスと合わせてアイフル、アコムを両方全額返済しました。その4か月後返金された金額が70万円ほど、手元に戻った金額が65万円くらい。残るはプロミスのおまとめローン200万円のみとなりました。全額返済のめどがついてきたこの時期、お金を返すことが趣味になっており、計画的に返済が進んでいることに喜びを感じていました。
本当に過払い金が手元に入るのかが不安
無料の電話相談で丁寧に過払い金について説明してくれましたが、不安は解消されません。実際事務所に行って丁寧に説明をしてくれたとしても、内容はよく理解でき希望が持てたのは事実ですが、実際手元にお金が戻ってくるまで、借金が実際減っていく事実が発生しない限りは、不安はずっと付きまとっていました。
最初の1件の4社とのやり取りがスムーズに進み、すんなりとお金が戻ってきたことにより100ある不安が85ぐらいになりました。実は信販会社4社のお金を返す際に郵便貯金の養老保険で貯めていた15年分の中から100万円を借り、手元にあるお金プラス親から30万ほど借りて、4社いっぺんに完済出来た事が、スタートとしては上々だったのかもしれません。
完済した状態であれば、過払い金の返金額を次の返済に丸々充てることが出来るので、私の計画では無かったのですが、今思えば凄く計画性の有った返済手順になっていたかと思われます。しかし、まだ完済するまでは不安は解消できていません。
お金が凄く大切で怖いものだと認識できました
最後の借金を返済は翌年の夏のボーナスと月々の貯金にて一括でプロミスさんに赴き、200万円を返してきました。
その後、プロミスさんに過払い金を請求し、11年半ほど付き合ったプロミスさんから7か月後に140万円ほどの返金がありました。手元に残ったお金は120万円ぐらいですが、そのお金を足掛かりに気が付けば月々の生活も質素になり、翌年にはボーナスと合わせて360万円ぐらいの貯金が出来ていました。
このお金は並行して進めていた、彼女との結婚資金に丸々充てた訳ですが、苦労して手にしたお金ではないので後ろめたい気持ちがあったのも覚えています。さらに新しくできたスーパーなどで、カードを作りませんかなどと勧誘されると、クレジット機能が付いているものにアレルギーを感じていたような気がします。
お金は大事だよ
世の中にお金を借りて幸せになれることなんてほとんど無いですよね。でも今回の一件が無ければお金の大切さを知ることは絶対に出来ませんでした。さらに、20代という若さでお金の存在意義について理解を深めることが出来た体験であると思っています。
元々お金を借りていたのにも関わらず、最後は120万円の貯金からスタートできる世の中の仕組みが出来ていることに関して、非常にありがたく思えたのも事実です。私に最後まで関わってくれた行政書士の方から言われたことを今でも覚えています。「菊地さん、短いようで長かったですね」「長いようで短くもありましたね」と言われた内容が非常に奥が深いものであって、温かいものであったのを今日現在も噛みしめ家族とともに仲良く暮らしております。